子供たちが大好きなので,ハリーポッターの映画をDVDで何度も見た。 幸いなことに,ハリーポッターの学校であるホグワーツのような建物があるケンブリッジの町に10ヶ月間滞在する機会を得た。もちろん文科省の在外研究員という身分なので,研究をすることが滞在の目的であるのだが,研究面だけでなくそれ以外についても感じたことを文章にしてみたい。

ハリーポッターは子供たちが好きで,と書き始めたが,実は私も大好きなのである。その中でもグルフィンドールという寮(ケンブリッジではコレッジ (college) に対応するのだろう)の談話室が気に入っていた。なお,college とは colleague(仲間)の集まりがもともとの意味であることをケンブリッジに来て初めて知った。談話室で仲間同士がお茶を飲んだり,宿題をしたり,とても楽しそうなところがよい。

ケンブリッジ大学工学部の滞在初日,受け入れ教授と会い,研究室を見せてもらったり,IDカードや計算機のアカウントを作ってもらったりと,一連の事務的な手続きをした後,お茶を飲みに行きましょう,といわれた。生協食堂のようなところ(いかにも日本的な表現だが)に連れて行ってくれるのかなと思っていたら,「談話室」(common room) に連れて行ってくれたのである。そこにはたくさんのティーカップが用意され,大学の教員たちがわいわいとお茶を飲んで議論していた。談話室には私の専門である制御の先生たちも数人いて,滞在初日でいろいろな先生方に会うことができた。もちろん,私の英会話能力では,雑談したり,冗談をいったりできないので,私にとっては「談話」には程遠いのであるが,談話室はとてもよい雰囲気だった。制御の世界では有名な Glover 教授がいま工学部長を務めているが,彼もこの談話室でよくお茶を飲んでいる。このお茶の時間は午前10時半と午後3時半の2回あり,午前中はコーヒーも用意されているのだが,午後は紅茶しか出されない。町では日本同様スターバックスコーヒーをたくさん見かけるが,やはり英国は紅茶の国である。

このような談話室が自分の大学にもあったら嬉しいなと思う。なぜならば,まず,1日に2度もゆったりとお茶を飲む余裕がうらやましい。そしていろいろな分野の先生が談話室で議論できる環境がうらやましい。

わが国では概算要求が通り新しい建物を作るとき,学生のための休憩室のようなもの(たぶん談話室をイメージしているのだろう)を作るようにといわれ,そのようなスペースができているが,建物完成後にそれがちゃんと機能しているかというと,首を傾げざると得ない場合が多い。これは当然の話で,学生のためのスペースを作る前に,教員のための談話室を作るほうが先決だ。

学生に談話を要求する前に,教員が談話できる場所と習慣と余裕をもたなければいけない。講義をして,研究をして,研究室の学生の面倒を見て,学内外でさまざまな会議,研究会をして,そのうえ国立大学では独立法人化に対応しなければいけないのだから,日本の理科系の先生には,1日に2回もお茶を飲んでいる暇はないのだろう。もちろん日本の大学の中にも,このような談話室を設けて立派に機能しているところもあるかもしれないので,ここで言っていることはあくまでも私の身の回りの話だけである。重要な点は,談話室という箱物(ハードウェア)を作ることはお金さえあれば可能であるが,談話室で談話できる環境(ソフトウェア)を作るためには,文化が必要になる。普段から教員同士で談話していれば,会議が紛糾して長時間に及ぶことも少なくなるだろう。

世間ではスローライフの声も聞かれているが,大学はその流れに逆行している。自分で自分の首を絞めているような感がある。企業のセンスで考えれば,つねに変化していなければ進歩はない,となるのだろうが,果たして大学もそうなのだろうか? もっと泰然自若としていられないのだろうか。

しかしながら,私は大学の評価については肯定的である。評価というセンサをつけて,そしてその評価をフィードバックして初めて大学をフィードバックコントロールすることができるからである。ただし,評価される人(制御対象)と,評価する人(センサ)と,制御する人(アクチュエータ)が,基本的に同一(大学の人間)であるところに本質的な問題がある。

わが国からも毎年ノーベル賞受賞者が出て喜ばしいことであるが,ケンブリッジ大学だけで70人以上のノーベル賞受賞者が出ているそうである。この数字と談話室でお茶を飲む余裕とは無関係なのだろうか。

【この記事は,「計測と制御」 Vol.42, No.10 (2003年) に,[さいすらん] ケンブリッジだより 足立 修一(宇都宮大) として掲載されました】

ケンブリッジ大学工学部


ため息の橋