6月21日に21歳の誕生日を迎えたウィリアムズ王子の人気はアイドルなみである。母親であるダイアナ妃をほうふつさせる端正な顔立ちがその大きな理由だと思われるが,6月はテレビでウィリアムズ王子の特番ばかり放送していた。英国民の人気という点では,完全に父親であるチャールズ皇太子(もう皇太子と呼ぶにはおじいさんになってしまったが)に大きく水をあけてしまった。どこへいってもチャールズ皇太子はウィリアムズ王子の父親という役回りである。ウィリアムズ皇太子の誕生パーティー会場に,ビンラディン氏の扮装をしたコメディアンが忍び込んだことも話題になっていた。

ウィリアムズ王子は,いまスコットランドのセントアンドリュース大学で芸術史を専攻している。1410年に設立されたセントアンドリュース大学は,オックスフォード大学,ケンブリッジ大学についで英国で3番目に古い名門大学であり,いまは世界中の女子学生から熱い注目を浴びているようだ。ちなみにチャールズ皇太子とカミラ夫人はケンブリッジ大学出身である。

今回は,ウィリアムズ王子が取得して有名になった 「ギャップイヤー(Gap Year)」 についてお話ししたい。実は,私は英国に来るまでこのギャップイヤーについて知らなかった。そこで,この単語を辞書で引くと,「英国で,大学に進む前の一年間,ボランティア活動などの人生経験を積ませることで正規の教育だけでは得られないものを補う期間」 と書いてある。英国では5歳から16歳までが義務教育で,大学進学をめざす人は,その後 6th Form と呼ばれる学校に2年間通い,大学進学に必要な全国統一試験のAレベル受験のための教育を受ける(なお,英国の大学進学率は43% で,10年前は20% だった。ブレア首相の公約は,2010年までにこの数字を50% にすることだそうである)。この試験の結果によって大学を決めることになるが,ケンブリッジ大学工学部では,毎年約1000名が受験し,そのうち合格者は約300名だそうである。6月に 6th Form を卒業して大学が決まれば,ケンブリッジでは10月に大学入学となるのだが,入学をそのつぎの年の10月とすることもでき,その1年4ヶ月間をギャップイヤーと呼ぶ。英国全体では,大学入学予定者の約1割がギャップイヤーを取っているそうである。

ウィリアムズ王子はギャップイヤーでボランティア活動をしていたそうであるが,海外旅行を計画する学生が圧倒的に多いそうである。私のケンブリッジ大学での受け入れ教授のお嬢さんも,ギャップイヤーを利用してオーストラリア,ニュージーランドなどを回っているそうだ。一方,ケンブリッジ大学工学部に入学が決まった学生の中には,ギャップイヤーで実際に企業で実務経験を積む学生もいるようで,工学部には Industrial Experience Coordinator がおり,ギャップイヤーを企業で過ごす学生の世話をしている。

かつて英国の貴族たちの間には,ある年齢に達した男子の見聞を広げるために,彼らにヨーロッパ大陸を旅行させる「グランドツアー」という伝統があり,その伝統がギャップイヤーに受け継がれているらしい。現代においても,いろいろな意味で余裕がなければギャップイヤーを取ることができないが,これはなかなかよい制度だと思う。うまく修正してわが国に導入できないかと思う。特に,ギャップイヤーを利用して,大学入学前の若い時期に,海外買物旅行ではない海外経験をするシステムができればよい。いくら日本でグローバル化とか,国際化とか,英語教育の重要性とか叫んだところで,日本で暮らしているだけであれば,日常生活において英語など必要ないのだから,切羽詰った必然性を体感することはできない。高校までの「英語」はコミュニケーションのためではなく,大学受験のために存在している感が強い。大学卒業後,会社に入ってから英語によるコミュニケーションの重要性に気づくのでは遅すぎる。また,ギャップイヤーを企業で過ごすことも,特に工学部進学を決めた学生には有意義であろう。

私はちょっとしたアイデアを持っている。何年後かには,大学進学を希望する学生と大学の定員と等しくなり,希望者全員がえり好みさえしなければ大学進学できる時代がやってくる。その時代になったら,大学進学希望者全員にギャップイヤーを与えるのである。すなわち,高校と大学の間に1年間の空隙を置くのである。そして,英国のAレベル試験に相当する日本のセンター入試の成績によって,成績上位1000名(国の予算が許す範囲ならば何名でもよい)の学生に,海外留学の資格を,できれば強制的に,与えるのである。逆に,下位何万人かの学生には,予備校に通ってもらい,大学教育に耐えられる学力を身につけてもらう。中間の成績の学生は,できれば企業で研修してもらいたい。もちろん,自費で海外研修をしてもよいし,ボランティア活動してもよい。

このアイデアの狙いは,いくつかある。まず,一つ目の狙いは,高校まで成績のよかった学生に,海外留学を経験してもらうことで,目的意識をもってもらうことである。自分の体で海外を経験しなければ,グルーバル化といわれてもぴんとこない。日本と世界のギャップを肌で感じてほしい。

二番目の狙いは,高校と大学の間に1年間の空白期間を設けることである。「ゆとり教育」に代表されるように,高校以前の教育内容は昔に比べて明らかに薄くなっている。その一方で,大学では昔と同じような目標の下で高等教育を行っている(ことが多い)。また,多様な入試を行うことにより,多様な受験生が大学に入学してくるが,それらすべてに対応できるほど,現在の大学の教育システムは柔軟性をもっていない。大学の立場から言うと,高校教育までのすべての「つけ」を大学が払っている感が強い。したがって,高校と大学のギャップを埋めるために,残念ながら大学教育に耐えられない学力の学生には,1年間予備校で徹底的に勉強してもらうのである。

ところで,成績上位1000名に1年間,海外留学を行ってもらうといったら,受験生の親たちはどのように感じるだろうか? 過保護な親はひ弱なわが子を一人で1年もの間,海外に旅立たせることに不安を覚えるだろう。もしかしたら,センター試験でわざと1000番以内に入らないようにする受験生が出てくるかも知れない。それが三番目の狙いである。大学全入時代の受験制度を真剣に議論するきっかけになるだろう。

以上,想像することは 「ただ」 なので,実現しそうもない勝手なことを考えてしまった。

いずれにしても,目的意識をもって大学で勉強すべきであることは確かである。自動車教習所に通う教習生がなぜ真剣なのかといえば,卒業すれば運転免許証がもらえるという明確な目的意識があるからである。しかも,教習で失敗すれば,追加料金を払って補修を受けなければいけないからである。それに対して,大学の卒業証書に学生は意味を見出しているのだろうか(大学の合格通知には意味を見出している学生が多数いるだろうが...)? 大学で休講になったら授業料を返せと訴えることが,自動車教習所の論理だったのに,大学では休講になると学生は喜んでいる。ついでに言えば,教習所のよい所は,教習生が教官を選ぶことができる点にある。当たり前のことだが,競争原理が導入されている。これは予備校でも同じだろう。それに対して,大学では学生が教員を選べるのだろうか?

国立大学の独立法人化の過程においていろいろな大学で取り組んでいるように,大学を変えることは現代の重要課題である。大学は社会の構成要素のひとつであり,大学だけ別格だという論理は通用しない。しかし,大学という器をいくらよいものにしても,そこに入ってくる学生という主役の意識が変わらなければ,その効果は望めない。そのためには,自動車免許証をもっていれば車を運転してよいのだよと同じように,大学の卒業証書をもっていると,こんなに嬉しいことがあるのだよ,大学で勉強するということはこんなに素晴らしいのだよ,ということを大学や社会が若い世代に知らせる努力をしなければならない。

話が大きな方向へ行ってしまったが,英国でのギャップイヤーは,学生に大学での目的意識をもたせることに役立っていると聞く。日本版ギャップイヤーはつくれないだろうか?