大学の教員になって 13 年たつが,自分の専門分野以外の人を相手に話をする機会はほとんどなかった。一度だけ,知り合いの歯科医に頼まれて,東京歯科大学栃木県支部の同窓会というところで講演したことがあるが,そのような機会はたぶんこの1回だけだったと思う。通常,学会と呼ばれる専門家集団のコミュニティーのなかで,興味の対象が同じ少数の人々を相手に話すことが多かった。あるいは企業の人を相手にしゃべる場合もあるが,その場合でも 「制御」 という私の専門分野に興味のある人が対象だった。

文理融合が大切であると最近よく言われる。いわゆる理科系的なセンスだけでは,実際に社会で起こっている問題には対処できないことが,その大きな理由だと思われる。私自身もその通り(英語では “Exactly” という表現がよく用いられる)だと思うのだが,いざ文理融合を行おうとすると,一体どのようにしてよいか途方にくれてしまう。学問体系が細分化され,同じ理科系の中でも,あるいは電気工学という限られた分野の中でも,専門が多岐にわたり,それらの間で横の連携を取ろうとする動きはあまり見られない。理科系の中でさえこのような状況なので,ましてや理科系と文科系の間の交流を図る機会はほとんどない。私の所属している宇都宮大学でも,文理融合が行えるように,学内でいろいろな仕組みを考えているが,なかなか難しいように思われる。

私自身は,現状では文理融合は難しく,それよりは文科系も理科系も理解できるような総合的な人材を育成した方が結局は近道ではないかと思っている。もちろん,全員がそのような総合的な人間になる必要はなく,理科系のある分野に能力のある人,文科系のある分野に能力がある人など,いろいろ特色ある人材を育成していくべきであろう。学問以外でも,スポーツが得意な人,絵が得意な人,音楽が得意な人,手先が器用な人,人付き合いのうまい人,優しい人,などさまざまな特技をもつ人を育てるような教育システムができれば理想的である。人それぞれ得意不得意がある。不得意なところをがんばることも大事だが,それ以上に得意な所を伸ばす教育の方が望ましい。そして,得意なところを周囲がほめてあげる環境ができればなおさらよい。

さて,現在,私が滞在しているケンブリッジには,「ケンブリッジ日本人会」 と 「十色会」 (十人十色の「といろ」) という2つの日本人のコミュニティーがある。前者は家族でケンブリッジに滞在している比較的年齢層が高い人,後者は学生さんや単身でケンブリッジに滞在している比較的年齢層が低い人が中心である。残念ながら私は年齢が高いので,前者のケンブリッジ日本人会に所属している。このケンブリッジ日本人会では毎月 例会を開催しており,私は9月の講演会の講師に当たってしまった。

一応,大学の教員なので人前で話すことは商売であり,そのこと自体はまったく問題がないのだが,問題はどのような方が講演を聴きに来るかであった。対象によって話の内容はかなり変わってくる。講演会といっても聴衆は10~15名程度の小規模なものであり,8月の講演会では英文学の先生2名が,シェークスピアとシング(アイルランドの作家)について講演された。それに対して私の講演題目は,「日常生活の中の制御工学」 であるので,日本人会での講演内容は文科系から理科系まで非常にバラエティーに富んでいる。

9月7日の講演会は Darwin college の Old Library で開かれた。「種の起源」 で有名なダーウィンのコレッジだ。聴衆がまったく集まらなかったら困るので,当日は私の家族全員(妻と子供2名)を連れて行った。最悪の場合は,足立家の身内だけの講演会も覚悟していた。しかしながら,幸いなことに 15 名の方が出席してくれた。それらの方々の専門分野は,英文学,英語,応用数学,経済学,哲学,国際法,脳,機械工学,制御工学など,非常に多岐に渡っていた。私の専門である「制御」では,さまざまな数式が登場してくるのだが,文科系の聴衆の方が多いだろうと想像していたので,1つも数式を使わずに講演を行った。

講演のポイントの一つは,「これまでわれわれ制御工学者は,いろいろな対象を自動制御することによって人類の役に立とうとしてきたが,果たしてそれが本当に人類のためになったのだろうか?」 であった。たとえば,自動鉛筆削り器の考案によって確かに子供たちは便利になったが,その一方で彼らは小刀(ナイフ)の正しい使い方を自分の体で学ばなくなったことは,その例の一つであろう。また,制御工学に限らず,技術は急速に進歩してきたが,高度化された技術の中身はブラックボックス化し,当の技術者でさえ,その中身を理解していないことが増えてきている。ある大企業の方に聞いた話では,最近の技術者の仕事は仕様書書きと調整会議ばかりであり,社内には作家や評論家ばかり増え,技術者が実際のモノに触れる機会が非常に少なくなっているそうだ。

私が提起した問題は,一般的な理科系のセンスだけでは解決できない。哲学をはじめとする文科系的な素養が必要となる。講演会の質疑応答では,私の身の回りにいる制御工学者からは聞けないような有益なご意見をいくつも頂戴することができた。

また,国際法,経済学,脳などの分野において,制御という概念が存在し,利用されていること,量子制御を研究されている方からは,観測されるデータが不完全な場合の制御系の設計法は存在するのか? など,貴重な質問をいただいた。

以前,ケンブリッジだよりで述べたように,コレッジにおいて異文化交流が日常的に行われているケンブリッジという土地柄のため,このようなアカデミックな異文化交流が行えたと思う。私がケンブリッジに来て最も親しくさせていただいた日本の先生は,理科系の方ではなく,シェイクスピア劇の演出家である下館和巳教授(東北学院大学)であった。子供たちの年齢が近いため,家族ぐるみでお付き合いさせていただいたが,残念ながら下館一家は8月に帰国してしまった。彼とのおしゃべりからは得るものが非常に多かったが,それについてはいずれお話したいと思っている。日本においても,自分の専門分野に閉じこもるだけでなく,他の分野と積極的に交流できるような仕組みがたくさんでき,研究者がアクティブにその交流に参加していけば,工学をはじめとする学問はさらに活性化するだろう。

日本では「工学博士」という名称を用いるが,英語では博士号のことを “ph D” (Doctor of Philosophy) という。これは学術博士あるいは哲学博士という意味であり,Philosophy は哲学という意味のほかに「高等な学問」という意味もあるそうだ。しっかりとした哲学をもった工学博士が数多く誕生することを期待したい。