10月下旬に電車に乗ったら,胸に赤い飾りをつけた人を見かけた。何かの団体かなと思っていたが,11月に入ると TV のキャスターやレポーターたちが一斉にその赤い花を胸に付け始めた。右側の写真は,BBC 夜10時のニュースの顔であるヒュー・エドワーズが胸にその赤い花をつけているところである。

ところで,レポーターといっても芸能レポーターではない。英国の,特に BBC ニュースのスタイルは,ほとんどのニュース項目に対して現場からレポーターが中継する(録画のときもあるが)。そして,レポーターたちは歩きながらレポートするのがとても好きだ。たとえば,イラクのバクダッドには,若い女性記者が何ヶ月も滞在して現場から中継している。この人は大丈夫だろうか? 危険地手当ては出ているのだろうかと,私は影ながらいつも心配している。また,11月9日の日本の総選挙については,当日(日曜日)の夜10時の BBC ニュースでも報道されたが,BBC 東京駐在の記者が自民党本部から中継していた。最後に,“*** *** (記者の名前) BBC News, Tokyo.” と言って締めくくるのが慣習だ。

話がそれてしまったが,この赤い花はケシ (poppy) の造花で,正式には 「フランダース・ポピー」 というそうである。例によって,poppy を英和辞典で引いてみると,つぎのような言葉を見つけることができた。

Poppy Day : 英霊記念日 (Remembrance Sunday)。11月11日か,その前後に最も近い日曜日に赤いケシの造花をつけて無名戦士をしのぶ。

ここで指している戦争とは第一次世界大戦(英国人はこの戦争を Great War と呼ぶ)のことで,この日付は1918年11月11日に休戦協定が発効されたことによる。この停戦記念日をピークに,日本の赤い羽根と同じように red poppy を売って募金(戦没者墓地などの管理などに使われるそうだ)を集めることが,英国での年中行事になっている。

では,なぜ poppy なのだろうか?

野生の poppy の種は,地中で何年も眠っていて,その種を含んだ土が何らかの拍子に地表に表れると,その刺激で発芽し,赤い花を咲かせるそうだ。特に,戦火の激しかったフランドル地方というところでは,数多くの塹壕(ざんごう)が掘られ,そのために,地中深く眠っていた poppy の種が目を覚まし,停戦と同時に,それまでは戦争で真っ赤な血が流されていた同じ土地の上に,真っ赤な poppy が一斉に咲いたそうだ。このことから poppy は停戦の象徴になったのである。なお,第一次世界大戦における英国の戦死者は70万人(ちなみに第二次世界大戦の戦死者は26万人)で,オックスブリッジの卒業生も数多く,前線で戦死したそうだ。

われわれの年代だと,ケシの花と言えば,宇多田ヒカルの母親である藤圭子が歌った 「赤く咲くのはケシの花, (中略) 15, 16, 17と私の人生暗かった。」 (「圭子の夢は夜開く」より) が真っ先に思いつき,そのつぎは,ケシは麻薬の原料で悪い花だというくらいで,あまりよいイメージはなかった。

そういえば,ジュディー・ガーランドの 「オズの魔法使い」 でドロシーたちがオズ大魔王の住むエメラルドの都に向かう途中,真っ赤なケシの花畑で邪悪な西の魔女に魔法で眠らさせてしまうという場面があった。また,調べてみると,ビートルズの初期の曲である Penny Lane の歌詞のなかには,

Behind the shelter in the middle of a roundabout
The pretty nurses is selling poppies from a tray
(ラウンドアバウト(円状の交差点:英国で車を運転するとき,
これに慣れるまでちょっと時間がかかる)の中の雨よけのなかで
可愛い看護婦がトレーの上のポピーを売っている)

という一節があるそうだが,これもPoppy Day の前の様子を歌ったものだ。Poppy Day のことを知らなかったら,この歌詞の意味はまったくわからない。ビートルズの歌詞を理解するだけでも,英国に住んでみないとわからないことがある。

11月9日の日曜日には,街を歩く人のほとんどは胸に赤いケシの花をつけていた。当日は,人通りの多い所やスーパーマーケットには,退役軍人のおじいちゃんたちが,胸に勲章をたくさんつけて赤い花を売っていた。

最初,第二次世界大戦の話だと思っていたので,そのときは日本と英国は敵国だったので,この poppy を買うべきかどうか悩んでいた。しかし,英国と日本が同盟国だった第一次世界大戦の停戦記念日だとわかったので,われわれも1ポンド募金して poppy を買った。11月上旬に英国で外を歩くときには poppy をつけておいたほうがよい。そうすれば,何度も募金する羽目に陥る心配はない。

11月11日午前11時ちょうどにケンブリッジの街では号砲が鳴った。それと同時にケンブリッジ大学工学部では,黙祷をするようにと校内放送された。2分後,もう一度号砲が鳴り響き,黙祷は終わった。