Caius College の図書室:教職員閲覧室にて

今回のケンブリッジ滞在で,最も重宝しているものは電子メールとデジカメである。電子メールの便利さについては,ほとんど何も言うことはないだろう。私は大学の工学部に所属しているので,かなり初期(1990年ころ)から電子メールを利用しているが,このように急速に一般社会に電子メールが普及するとは,当時は思ってもいなかった。そのころは UNIX マシンを使うことが電子メール利用の前提条件であったが,現在では携帯電話をもっていれば,小学生でも電子メールを利用できる。わが家でも子供たちに電子メールのアドレスを与えたので,彼らは日本のおじいちゃん,おばあちゃん,そして小学校の先生,友達などとメールのやり取りをしている。

私がケンブリッジ大学を最初に訪問したのは,いまから10年前の1994年だった。当時ケンブリッジ大学に滞在していた友人を訪ねることが目的だった。そのとき初めて “Mosaic” (確かこのような名前だったと思う)というホームページシステムを見せてもらった。そこでは,ケンブリッジ大学の研究者の研究成果などが一覧できた。当時,ホームページなどという言葉は,理科系の世界でも一般的なものではなく,これはすごいシステムだと驚いた記憶がある。しかし,いまでは作ろうと思えば,だれでも簡単に自分のホームページを作ることができる。

日本に残してきた足立研究室の学生さん(修士課程5名)たちとのやりとりも,電子メールのおかげで何とかなっている。ただし,学生さんたちは指導教員が不在で,大変心細い(いや,とてもうれしい)思いをしていると思うが。。。 英国で,私が寝る前(日本では朝に当たる)に研究に関するお願いのメールを書いておけば,学生さんがちゃんとその日のうちに仕事をしてくれて電子メールで返信を私にくれれば(これはなかなか厳しい前提条件であるが),私が翌日の午前中にメールをチェックするころにはその回答が届いている。

もちろんよいことばかりではない。せっかく忙しい日本を離れて英国に避難しているのに,電子メールであれば,所かまわず仕事のメールは,やってくる。こちらでは,できるだけ日本の仕事を断るようにしているのだが,滞在の後半には大学関係の重要な仕事が入ってしまったため,日本にいるのと変わらないようなときもあった。

さて,つぎはデジカメである。ケンブリッジには絵葉書になるような風景がいたるところにある。デジカメさえもっていれば,いつでもどこでも写真を撮ることができる。しかも,撮った写真をパソコンに入れてしまえば,いろいろな用途に活用できる。電子メールに添付して誰かに送ったり,ホームページに貼り付けたりと,画像がディジタルである意義は非常に大きい。LPがCDに取って代わられたときと同じように,アナログカメラからデジカメへの変化のインパクトは大きい。

フィルム式のカメラだと,撮ったものを写真屋に出さなければ,写真の出来を確かめることができなかった。それに対して,デジカメではその場で写真をチェックでき,気に入らなければ削除して何度でも撮りなおすことができる。このことにより,現像代・プリント代の大幅な節約になるだろう。たとえばモデルさんを撮るようなプロのカメラマンの典型的な撮影現場では(私の貧困な知識では,篠山紀信のような人しか思いつかないのだが),とにかくたくさん写真を撮っている,という印象が強い。あれだけたくさん写真を撮っているのだから,その中で1枚くらいはよい写真はあるだろうな,と素人の私は思ったこともあるが,デジカメを使えば,それに近いことを素人が実現できる。とにかくたくさん撮って,その中から気に入るものだけを残していけばよい。下手な鉄砲も数売れば当たるのである。

フィルム式のカメラのときは,写真を撮って,それを写真屋に出して,出来上がってくる写真を待つという楽しみがあったが,デジカメではそれがなくなってしまった,と指摘した人がいた。確かにその通りだ。でも,デジカメで撮影しても,最終的には従来の写真のようにプリントしたいと私は考えてしまうので,結局,出来上がりを待つ楽しみは一緒ではないかとも思う。しかし,最終的にプリントしたいと考えるのは古い人で,ケータイで撮影して,友達に送って,それで終わり,というのが,新しい人のデジカメ利用法なのかもしれない。

もちろんケンブリッジにはビデオカメラも持参した。最初の数ヶ月は,見る風景がすべてもの珍しくて,かなりの量のビデオを撮影したが,滞在も6ヶ月を過ぎると,ほとんどビデオを撮らなくなってしまった。これは,子供が生まれたときは一生懸命ビデオを撮るが,ちょっとすると撮らなくなってしまう状況に似ていた。その理由は簡単である。ビデオ撮影には時間がかかり,また撮影したものを見るためには撮影した時間と同じだけ時間がかかるからである。それに対して,デジカメでは撮りたい一瞬だけ撮影に集中すればよい。そして,その写真を見れば,そのときの状況を思い起こすことができる(われわれの専門用語では,これを補間あるいは外挿能力という)。私の個人的な考えでは,ケンブリッジではデジカメはビデオに圧勝した。もちろん1枚の絵よりも映像の方が情報量が多いことは明らかである。しかし,われわれ素人が撮った映像には,あまりに冗長な部分が多い。なぜ,映画がすばらしいかといえば,撮影した膨大なフィルムの中から,意味のあるカットを編集して,最終的に2時間程度に凝縮するからである。普通の人には,ホームビデオを編集する能力もなければ,その時間もない。

デジカメであればプリント代の節約になるだろうと書いたが,たぶんそれは間違いだ。英国では,デジカメであることをいいことに,1ヶ月平均300枚以上の写真を撮ってしまっている。写真の技術をもっているわけではないのだが,自分で撮った下手な写真にはそれなりに愛着があり,なかなか画像を削除することができない。しかしながら,英国では写真のプリント代が非常に高いので, 1枚もプリントに出していない。帰国後,日本でどのくらいプリント代がかかるか,いまから非常に心配だ。

制御理論の偉人の一人であるRouthの肖像画 (これは私がケンブリッジで最も撮りたかった写真の一つである)