今回,ケンブリッジを訪れた理由は,
IEEE主催のワークショップ ‘’Nonlinear Statistical Signal Processing Workshop – Classical, Unscented and Particle Filtering Methods”(非線形統計的信号処理ワークショップ) に参加するためだった。このワークショップはケンブリッジ大学工学部 信号処理グループ(制御グループの隣にある)のSimon Godsill教授が主催したため,彼のコレッジである Corpus Christi Collegeで開かれた。

線形・ガウシアンという仮定の下では,幅広い分野で実用化されているカルマンフィルタであるが,非線形あるいは非ガウシアンの場合に,カルマンフィルタを直接適用するといろいろな問題点があることが知られている。そのため,非線形・非ガウシアンの場合でも高精度な推定が行えるようなフィルタリングの研究が,近年精力的に行われている。その代表例が,無香料カルマンフィルタ(Unscented Kalman filter : UKF)とParticle filter(粒子フィルタ)である。

さて,われわれの研究分野である現代制御理論の創始者は,カルマンフィルタ,そして現代制御理論と呼ばれる理論体系を提唱したR.E.Kalman教授であることに異論はないだろう。そのカルマン(以下では,敬称を略す)がこのワークショップの最初にキーノートスピーチを行った。カルマンは1930年生まれなので,現在76歳であり,われわれのコミュニティではもはや伝説上の人物になっている。これまで,大規模な学会(たとえば,昨年チェコのプラハで開かれたIFAC World Congress)の講演でカルマンの話を聞いたことがあった。しかし,今回は150人くらいの小さなワークショップであり,本当に間近でカルマン教授を「見る」ことができた。
ケンブリッジ大学工学部長のKeith Gloverがワークショップの開会宣言をして,カルマンを紹介し,講演が始まった。カルマンの講演は約1時間であったが,講演内容と気づいた点などを順不同で列挙してみよう。

(1) 講演題目は’’Discovery and Invention – Past, Present, Future” だった。
(2) まず,カルマンフィルタはなぜうまく動作するのか,そしてその限界は? という点について述べた。
(3) つぎに,従来のウィーナーフィルタは2つの’’mistake” をおかしており,それらをカルマンフィルタでは解決したと主張した。一つは,「不確かさ」を「統計」を導入することによって解決したこと,もう一つは,「最適フィルタリング」という点を強調したことであった。特に,「雑音」にうまく対処したことがカルマンフィルタの特徴であると言っていた。
(4) ケンブリッジで行われたワークショップだったので,ケンブリッジ出身のニュートンの「プリンキピア」を引用するなど,ケンブリッジに敬意を払っていた。
(5) スライドあるいはOHPを使わず,終始ホワイトボードを使って講演を行った。大規模な学会では考えられないことだが,比較的人数が少ないので,このような講演スタイルを選んだのだろう。大学でカルマン教授の講義を受けたという気分になった。
(6) カルマンは大柄(巨体)であり,「はあはあ」と言いながら講義していたのが気になった。
(7) もともと左利きなのかもしれないが,板書するとき,左手と右手と器用に使っていた。

カルマンの講演終了後,コーヒーブレークになった。こんな機会はめったにないことだと思って,カルマンのところに挨拶に行き,写真を撮らせてくださいとお願いしたところ,にこやかにOKしてくださった。さらに,同席されていた(とても美人の)カルマン婦人が親切にも,私とカルマンの写真をとってあげましょうか,と言って下さったので,ずうずうしくも撮っていただいた。今回のケンブリッジ滞在では,うれしいことがたくさんあったのだが,カルマンと一緒に写真におさまったことは,最高のお土産になった。この写真は家宝にしよう。

カルマン教授と私

さて,カルマンはこのワークショップがお気に召されたのか,3日間のほとんどの時間,会場の最前列で,サングラスをつけて,講演を聴いていた。こんなに長時間,カルマンと同じ時空間を共有できるとは,ワークショップ前には想像できなかった。さらに,2日目のバンケットの前に時間が30分ほど空いていたので,その時間も講演したいと言って,最小二乗法について再びホワイトボードを使って講義された。ご自身のメールアドレスをホワイトボードに書いて,何かあったらメールしてほしいというようなことも言っていた。残念ながら,講義の内容については,私の英語力不足と,ホワイトボードに書いた字が読み取れなかったため,一体彼が何を言いたかったのか,よくわからなかった(このことはバンケットの席でも話題になっていた)。もちろん会場は満席であったが,若いph D studentの中には居眠りをしているものもいた。しかし,私も含めて,ある年代以上の人は,カルマンの話を聞き逃すまいと熱心に聴講していた。

若い学生がカルマンの偉大さを理解するためには,もう少し時間がかかるのかもしれない。