1ヶ月くらい前の話になりますが,大阪大学で開かれた自動制御連合講演会で大須賀公一教授(大阪大)が 「理想の研究室を目指して」 という特別講演をされました。
 その中の宮大工の話が面白かったので,大須賀先生からスライドを送っていただきました。大須賀先生は,法隆寺金堂の大修理,法輪寺三重塔,薬師寺金堂や西塔などの復元を果たした最後の宮大工棟梁である西岡常一氏の 「木のいのち木のこころ(天)」 (思草社,1993)という本から,つぎのような文章を引用されていました。
 「その人はそれでちゃんとした職人ですし,性根というのは直せるものやないんですわ.やっぱり包含して,その人なりの場所に入れて働いてもらうんですな.曲がったものは曲がったなりに,曲がったところに合うところにはめ込んでやらんといかんですな・・・」 
 この話から大須賀先生のご専門の「ダイナミクスベースト制御」の話に続いていくのですが,この引用文は人を指導したり,教育したりする難しさと,人を導く方法論を示唆した名言だと思います。

 さらに,大須賀先生は 「研究室とは道場であり,指導教員が師範で,研究室の学生は弟子でなければならない」 ともおっしゃっていました。この考えに共鳴できその通りだと思うのですが,すぐれた能力や人格がないと,師範になることは難しいと感じています。

 ケンブリッジ大学では,学部学生のときには教授のことを Professor Osuka のように Osuka 教授と呼び,ドクターコースの学生になると,教授のことを,たとえば,Hi! Koichi のようにファーストネームで呼ぶことができることを思い出しました。これは学部学生のときには,教授は師範(師匠)であるが,ドクターコースになると,学生と教授とは研究を行ううえでは対等の立場になるということからきています。

 大須賀先生は東芝総合研究所時代の同僚であり,毎回いろいろ興味深いお話をされるので,彼の講演を聞くのが楽しみです。なお,大須賀先生は来年8月に台湾で開かれる SICE2010 (計測自動制御学会の年次大会)の General Co-Chair をされています。この学会にも多数の出席をお待ちしています。