助教の小野です。先日、MITの卒業式に参加し、晴れてPhD(博士)のdiploma(卒業証書)を受け取りました。日本とはずいぶん違うアメリカの大学の卒業式の様子を、この記事で紹介します。また、ボストンの街並みやそこでの思い出については、別の記事で紹介します。

「卒業式」の意味

卒業式のことを英語ではcommencementという。直訳すれば「はじまり」という意味だ。一方、日本で「はじまり」の式である入学式は、アメリカの大学では行われないことが多い。入学試験のないアメリカの大学では、入ることよりも出ることのほうが断然に大変だ。だから自ずと卒業式のほうが大きな意味を持つのだ。日本の学生は厳しい受験戦争を戦い抜いたあとに、入学式で気持ちを新たにして大学生活の「はじまり」に臨む。同じように、アメリカの学生は大変な苦労をして卒業をしたあとに、卒業式で気持ちを新たにして次のステップの「はじまり」に臨むのである。

アメリカの卒業式は、学年の終わりである5月末から6月始めに行われる。しかし、卒業自体は一年のいつでもできる。僕もPhD課程を卒業しMITを去ったのは2月だった。アメリカの卒業式は学業の終わりを記念する儀式ではなく、過去一年に卒業した人たちにdiplomaを授与する儀式である。だから、「卒業式」と呼ぶよりも、「学位授与式」と呼ぶほうが適切かもしれない。

「卒業」の定義もずいぶんと違う。日本では決められた年限を修了すれば卒業となる。対してアメリカでは、学位が認められるために十分な条件(単位数や研究業績)を揃えたら卒業となる。だから学位を取得するまでにかかる年数は定まっていないし、大学院では「学年」の概念すらない。博士号を3年で取る人もいれば、8年かかる人もいる。例えるならば、アメリカの学位とは42.195kmを完走したことに与えられる賞である。3時間で走っても、8時間かけて走っても構わない。対して日本の大学の学位は、5時間走ったことに対する賞である。当然、走る距離は人によってずいぶん違う。もちろん怠けすぎれば卒業できないのは日本でも同じだが、アメリカの大学では、5時間を少しオーバーしそうだからといっても、一切の手加減も配慮もしてくれない。僕はアメリカのシステムのほうが理にかなっていると思う。呑みこみが速い学生をみんなが追いつくまで待たせるのは時間の無駄だ。また、呑みこみが遅い学生だって、じっくり時間をかけさえすればちゃんと目標を達成できる人は多いだろう。もちろん遊び呆けて学業を怠る人は論外だが、ちゃんと頑張っているならば、少々人より足が遅くたって、「留年者」という負のレッテルを貼って失敗品扱いする必要などないのではないか。

ドレスコード

アメリカの卒業式にはドレスコードがある。すなわち、全員がガウンを着用しなくてはいけない。このドレスコードは、壇上に並ぶ教授たちはもちろん、誘導をする係員にまで徹底している。ガウンのデザインは学校によって異なる。教授として参加するときには自分の出身校のガウンを着るのが慣わしである。だから壇上には様々な色のガウンを来た教授が並び、とてもカラフルになる。

ドレスコードがあるからと言って、式が堅苦しいものであるというわけではない。むしろその反対だ。イタズラ好きで遊び心豊かなMIT生たちは、角帽の上に奇抜な飾りをして人目を引こうとする。たとえば帽子の上にMITのキャンパスの模型を作ってしまった土木工学科の学生や、

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帽子の上に火星の大地を再現し、火星着陸船の模型まで置いてしまった航空宇宙工学科の学生、

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分子模型を乗せた化学工学の学生などなど。

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赤ちゃん用のガウンを特注して愛息に着せてしまった子煩悩な卒業生もいた。

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今や世界のヒーロー、ドラえもんも、ガウンを着て卒業生を応援してくれる。

卒業式の前後にガウンを着て道を歩いていると、すれ違う人がみんな”congratulations”と声をかけてくれるのが、嬉しくて、誇らしくて、すこし照れくさい。

Hooding Ceremony

博士号を授かる卒業生は、写真のように、首から背中にかけてセミの羽のような形に垂れ下がった「フード」をガウンの上から着用する。このフードは一人前の研究者として認められたことの証である。そしてそれを授与する式であるHooding Ceremonyが、卒業式とは別に行われる。

MITの場合、Hooding Ceremonyは卒業式の前日の昼に行われる。およそ400名の博士号取得者たちが一人ずつ名前を呼ばれ、壇上でMITのChancellor (MITではpresidentの次にエラい人。詳しくはここを参照)と所属学科の学科長の二人によって、フードを首からかけてもらう。これによって、壇上に並ぶ教授陣と同じ、一人前の研究者の仲間入りをしたことを祝うのである。

卒業式 国歌とスピーチ

卒業式の日は朝早くから、自慢の息子や娘の晴れ姿を少しでも良い席で見たいと願う親たちが、会場の前に長い列を作る。家族たちが観覧席に、教授陣が壇上に着席した後、卒業生たちが賑やかな音楽と満場の拍手に迎えられ、誇らしげに入場してくる。

式はアメリカ国歌の斉唱で始まる。余談になるが、日本の卒業式では国歌を歌うか歌わないか云々がずいぶんと議論になっていると聞く。僕は、国歌を歌うことにケチをつけるのはおかしいと思うし、また歌うことを強要するのもおかしいと思う。日本人は大袈裟に考えすぎなのではないか。自分の国を誇りに思っていれば自然と口に出るし、歌いたくなければ黙っていればいい。それだけだ。他人が歌うこと、あるいは歌わないことをとやかく言うものではない。

開式宣言など形式的な内容を手短に終えた後、guest speech (来賓祝辞)が始まる。Steve JobsがStanford大学で2005年に行ったスピーチや、ハリー・ポッターの作者であるJ. K. RowlingがHarvard大学で2008年に行ったスピーチは、もはや単なる祝辞にとどまらず、人生について深く考えさせられる、哲学的価値のある名スピーチだった。今回のMITでのguest speakerは、Salman Khanという、ネットで無料の教材を配信するNGOを立ち上げ話題になった人だ。彼のスピーチは、JobsやRowlingのそれほどではなかったが、自身の経験から学んだ人生哲学を気の利いたジョークを挟みながら説く、なかなか良いスピーチだった。その最後の部分を本記事の末尾に和訳を付けて抜粋する。Guest speechのあとには卒業生代表のスピーチが続く。KhanはMIT卒なのだが、彼は卒業式で代表としてスピーチし、「僕らが世界を変える」と宣言したらしい。彼は実際に学校教育の世界を現在進行形で変えている。有言実行。素晴らしい先輩を持ったものだと思う。

そして、学位の授与

いよいよ、diplomaの授与が始まる。全部で2千人から3千人いる卒業生ひとりひとりの名前を呼び上げ、diplomaを学長かchancellorから直接手渡しするのだ。時々、息子や娘の名前が呼ばれると、観客席からヒュー、キャーとサッカーファンの如く大歓声をあげる家族がいる。ブブゼラを鳴らす母親もいた。日本ならば眉をひそめられるだろうが、アメリカはこのようなことにとても寛容だ。中でもとりわけて黒人の家族はテンションが高いことが多い。想像だが、一家ではじめての大学出だったりするのかな、と思った。自分の息子や娘が誇らしくて仕方ないのだろう。僕が好きな卒業式の光景だ。

とはいえ、2,3千人にひとりひとり手渡しとなると、果てしなく長い。2時間はゆうにかかる。快晴で暑い日だったから、耐え切れずに木陰で休んだり建物の中で涼んだりする卒業生も多かった。全員に手渡しせず、学科ごとに集まって渡せばいいではないか、と不満を言う人も多い。

しかし、いざ自分の番が来ると、そんな些細な不満は吹き飛んだ。列に従ってステージに上ると、”Masahiro Ono”と僕の名前が呼ばれた。ステージの中央に立てば、何千人もの参加者が僕に視線を集め、その向こうには美しいボストンの街並みが見えた。MITの錚々たる教授陣や来賓たちを背にし、その後ろにはMITを象徴する建物であるGreat Domeがそびえている。会場を囲む建物には、アリストテレス、ニュートン、ダーウィンなど、人類の歴史を作った哲学者や科学者の名前が掘り込まれている。MITで苦労し、悩み、考え、見つけ、泣き、笑った記憶の全てが、一瞬にして脳裏によみがえった。僕はChancellorと固く握手をし、diplomaを受け取った。こんなに誇らしい気持ちになったことは今までになかった。

Diplomaをしっかり両手に抱えて、僕はステージを降りた。MIT時代は終わった。僕の胸は、あたらしい「はじまり」へと向かう気持ちで、熱く燃えていた。

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Salman Khanのスピーチの抜粋

(全文はこちらに、ビデオはこちらに掲載されています。)

…let me leave you with a thought experiment I use to help keep my priorities in check.

私が自分の気持ちを保つために行っている思考実験を、みなさんに紹介しましょう。

Imagine yourself in 50 years. You’re in your early 70s, near the end of your career. You’re sitting on your couch, having just watched the State of the Union holographic address by President Kardashian.

50年後の自分を想像してください。70代はじめのあなたのキャリアは、終わりに近づいています。あなたはソファーに座り、カーダシアン大統領の一般教書演説をホログラムで見終わったところです。

You begin to ponder your life. The career successes, how you’ve been able to provide for your family. You’ll think of all the great moments with your family and friends. But then you start to think about all of the things you wished you had done just a little differently, your regrets. I can guess at what they might be.

あなたは自分の人生を振り返ります。あなたは仕事において成功し、家族も立派に養ってきました。家族や友人たちと素晴らしい時間を過ごしてきました。でも、とあなたは思います。あの時、もう少しだけ違うやり方ができていたらならば、という小さな後悔が、いろいろとあることを思い出します。どんな後悔なのか、私が予想してあげましょう。

Sitting in 2062, you wish that you had spent more time with your children. That you had told your spouse how much you loved them more frequently. That you could have even one more chance to hug your parents and tell them how much you appreciate them before they passed. That you could have smiled more, laughed more, danced more and created more. That you better used the gifts you were given to empower others and make the world better.

2062年の今、あなたはもっと多くの時間を子供と一緒に過ごすべきだったと思っています。妻に、あるいは夫に、もっと頻繁に愛していることを伝えればよかったと思っています。両親が死ぬ前にもっと、彼らを抱きしめ、どれだけ感謝しているかを伝えればよかったと思っています。もっと微笑み、笑い、踊り、そして創造すればよかったと思っています。他の人たちを力づけ、世界を良くするために、あなたの才能をもっと活用するべきだったと思っています。

Just as you’re thinking this, a genie appears from nowhere and says, “I have been eavesdropping on your regrets. They are valid ones. I can tell you are a good person so I am willing to give you a second chance if you really want one.” You say “Sure” and the genie snaps his fingers.

あなたがこんなことを考えていると、突然ランプの精が現れてこう言います。「君の後悔を聴かせてもらった。もっともな後悔だ。私には君が良い人間であることが分かる。だから、もし君が望むなら、二度目のチャンスをやろう。」あなたが「お願いします」と応えると、ランプの精はパチッと指を鳴らします。

All of a sudden you find yourself right where you are sitting today. It is June 8, 2012, at Killian Court. You are in your shockingly fit and pain-free 20-something body and begin to realize that it has really happened. You really do have the chance to do it over again. To have the same career successes and deep relationships. But, now you can optimize. You can laugh more, dance more and love more. Your parents are here again so it is your chance to love them like you wished you had done the first time. You can be the source of positivity that you wished you had been the first time around.

すると突然、あなたが今、ここに座っていることに気付きます。2012年6月8日、MITの卒業式の会場にです。驚くほど健康で若々しい20代の身体を見て、奇跡が起こったことを実感しはじめます。あなたには本当に、人生をやり直すチャンスが与えられたのです。仕事での成功をもう一度繰り返し、家族や友人ともまた深い関係を気付きます。でも、今度のあなたは最適化することができます。あなたはもっと笑い、もっと踊り、そしてもっと愛することができます。両親はまだ生きていて、あなたが一度目の人生で望んだとおりに愛することができます。一度目の人生で望んだとおりの良い変化を世界にもたらすことができます。

So now I stand here, once again deeply honored to be here. Excited by what you, the MIT class of 2012 ― both undergrads and graduate students ― the young wizards of our time ― a time like no other in human history ― will do with your second chance.

そして今ここにもう一度、私が誇らしげに立っています。2012年にMITを卒業する皆さんが、過去とは全く異なるこの時代にどのような二度目の人生を送るのかを、ワクワクして見守っています。