廣田幸嗣氏からエッセイ [3] を送っていただきました。


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ギリシア語の logos (論理,理性)の語源は legein (話す)で,これをやり取り(dia)するのが対話 dia-logos (dialog) である。対話は学問の基礎になると考えられていた。サンデル教授の白熱教室も,対話形式の授業である。対話をすると,類推(ana)による論理展開(ana-logos)も自由にできるようになる。

日本の学校の授業は,体系的に寄せ集めた kata-logos (catalog) を,先生が一方的に語る mono-logos(monolog)方式が主流で,生徒もあまり質問せず対話が少ない。したがって,どうしても世界に通用するロジックが苦手になる。

もともと日本語は「テニヲハ」と言う強力接着剤で単語をつなぐ膠着語である。揺れ動く感情を連綿と綴るには適しているが,骨格となるべき乾いた論理が見えにくい。このため,本当は,論理力を強化する国語の初等教育が不可欠である。

日本人が書いた英語論文の添削や査読を,長年やっていて気になるのは,文法や用語・言い回しの誤りよりも論理展開である。中でも段落 paragraph の概念が希薄なケースが多い。

1つのパラグラフには1つの主張があり,文頭に主題文 topic sentence ,続いて supporting sentences を書くという原則がある。これを外すと,言いたい主題と,それを支える論理が見えにくくなる。しかし,パラグラフを改行(=息継ぎ)からつぎの改行までのブロックと,安易に考える人が多い。

一人だけで仕事をするだけでなく,時に対話をして課題を解決するプロセスは,衆知を集めるだけではなく,論理的な主張や発想の育成につながる。組織を活性化し賑やかに論議させることは,この観点で重要である(本論の epi-logos )。