DSC08878廣田幸嗣氏からエッセイ [6] を送っていただきました。

1995 年に,科学技術立国を目指すとした科学技術基本法が成立し,2011 年からは基本計画の第4期(5ヶ年)に入った。しかし,ここ数年マスメディアが批判しているように,その費用対効果に疑問の声が出ている(たとえば日経3月12日号:科学技術立国の実像)。被引用論文数で学術力を評価すると,日本のランキングは低下傾向にあり,歯止めがかかっていない。

世界競争力年鑑 World Competitiveness Yearbook のランキングを見ても,日本は低迷したままである。過去16年間で約65兆円ものお金を使いながら,およそ300万人の雇用が喪失しており、日本はアジアの基礎研究所ではないかと揶揄する人もいる。
科学は万人のため,技術は(新重商主義的に言えば)自国民のためである。目的が異なる二つのものを一体に扱って科学技術政策とすると,戦略と目標管理が曖昧にならないか?

振り返ると,明治政府は西欧列強の力の源泉を科学と技術にあるとし、工部大学校などで外国人教官を雇って,技術の科学的側面を中心に移植した。ここで,科学と技術と言っていたものが科学・技術になり,さらに科学技術となった。

日本のIT家電は,システム開発力の弱さやグラフィックインターフェイスに係わる意匠法の整備の遅れなどが指摘されている。技術に科学を付けたために,新製品を作り出すうえで重要な要素である総合技術 poly-technique, SE&I (System Engineering & Integration) や工芸 art (工業デザイン)が軽視される傾向がないのかを考えてみる必要がある。日本の情報家電業界が低空飛行し,反対にアップルやサムソンが日本のハイテク素材や部品の恩恵を享受しているように見える。

「日本には技術はあるが事業で勝てない」とよく言われる。しかしここで技術と言ったとき,科学的側面だけを拡大視してないか。科学よりも革新商品を生む総合力や工業デザインが足りないので,MOT(management of technology) 以前の問題として,偏りのある技術の矯正が必要ではないか。
hirota130401