チューリヒ天文台廣田幸嗣氏からエッセイ[10] を送っていただきました。

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夜空の星は瞬く。ロマンチックだが、地上で天体観測するときに大気の揺らぎが問題になる。8 m 級の望遠鏡では最も「見え味」が良いと定評があるハワイ島のすばる望遠鏡でも、近赤外光での平均的星像サイズは 0.6 秒角で理論限界の 0.06 秒角に遠く及ばない。ハッブル宇宙望遠鏡のように大気圏外に設置すれば根本解決になるが,コストが 1 兆円超と膨大になるだけでなく,最新鋭の大型観測装置が使えない。

光が通る通路の揺らぎの影響を,リアルタイムで相殺する光学技術を波面補償光学 Adaptive Optics と言う。過去10 年で技術が急速に進歩し,最新の地上望遠鏡に装備されている。

遠方の天体を観測する大型望遠鏡では、波面センサに入力される光子の数が少ない。このため観測点近くにある明るいガイド星や,それが視野に無いときはレーザ励起による人工ガイド星を波面センサで捉えて,大気の揺らぎを検出する。

アクチュエータで反射鏡を約 1 ms ごとに変位させ,元の揺らぎのない星像を即時に復元する。センサもアクチュエータも数十個以上ある多入力多出力(MIMO:Multi Input Multi Output) 系であり,揺らぎと変形の関係は複雑になる。しかし,アクチュエータに順次信号を加え,センサ信号出力との関係を計測して制御行列を作っておけば容易に制御できる。

すばる望遠鏡の補償光学システムは、世界トップレベルである。望遠鏡本体の建設費は約 400 億円であるが、その約1.5%の6億円の投資で解像度が 10 倍に改善され、最遠方にある銀河などを次々に発見している。

地上鏡で高分解能な観測が可能なことが実証されたため,直径 30 m の超大型望遠鏡 TMT:Thirty Meter Telescope の国際共同プロジェクトが本格的に始動した。主鏡は 1.5 m の六角鏡 492 枚で構成され,超精細な制御により一枚の反射鏡として機能させる。2014年に建設をスタートし、2022 年には観測を始める予定である。 近傍銀河の詳細構造や,銀河形成の解明に役立つものと期待される。

補償光学は米軍の機密技術であったが冷戦が終了したため,1991 年に米天文学会に供与された。最近では網膜診断や,光通信などにも応用されている。軍事技術が科学に技術移転 technology transfer され,つぎに民需分野に技術拡散 diffusion of technology した事例として紹介した。

<参考資料>
科研成果報告:レーザガイド補償光学系による銀河形成史の解明

hirota1307