London Eys廣田幸嗣氏からエッセイ[11] を送っていただきました。

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 人間は,1 を聴いて 10 を知ることができる。類推 (analogy) による知識獲得は、大脳の創造的活動の一つである。しかし,類推は論証とは異なるので限界がある。私の専門である電気回路を題材に,類推の効用と限界を見てみよう。

電気回路の電圧と電流は,キルヒホフ (オーム) の法則で計算できる。電気の運び手を電子の流れとし,これを水流になぞらえて,電圧と水圧,電気抵抗と水路抵抗を対比させ,分岐に流れ込む電流(水流)と,そこから流れ出る電流 (水流) が等しいとする水流モデルにより,キルヒホフの法則は容易に理解できる。これは類推の効用である。

しかし,物理機構まで深く立ち入ると,類推が破綻する。水流モデルでは,水量に比例して水は速く流れる。断面積が1 ㎜2 の銅線に 1A の電流が流れているとき,電子の移動速度 (drift velocity) を計算すると,毎分 4.4 ㎜ となりナメクジより遅い(想定外に遅いのは,電線中の電子の数が極めて多いからである)。 配線が数 m あると,水流モデルでは電燈のスイッチをオンしてから 10 時間以上も待たないと点灯しない。

電子がお互いに強く結合して,トコロテン式に移動すると速くなるが,金属の中では電子が自由運動しているとの物性論の知見に矛盾する。また連動できるとしても,電子波動の群速度,フェルミ速度は超えられず,光速の約 0.5 % である。

よく知られているように,電気は光の速度で伝わる。電子には質量があり,ゲージ理論によると光速で移動できない。

じつは電気の運び手は電子ではなく,電波 (電磁場の波動) なので光速で伝わるのである。スイッチをオンすると,電線に沿って電源から 50/60 Hz の電波が光速で伝わって行く。電波が来るとその作用により,電子は緩慢に移動する。電波が強いと電子の流れは速くなる。つまり電流が大きくなる。

電子は電気の運び手ではなく,導き手である。電線の中には電子が沢山充満している。その助けで電線に沿って電波は拡散せず遠方まで伝わる。この意味で,電線は電気の管路 (pipeline) ではなく,電波を誘う導波路 (waveguide) である。

電線が2本以上あれば, TEM モード (Transverse Electro-Magnetic mode) の電波が存在し,直流からの電波を伝えることが電磁気学で証明されている。身の回りのコードを分解すると芯線が 2 本出てくるが,これは電子の行き帰りの通路ではなく, TEM モードの電波を伝送するためである。

電流が流れていると,磁場が変化するため非保存場となりもともと電圧を定義できない。しかし,TEM モードの電波で電気が運ばれているときに限り,電磁場と対比させて電圧と電流が定義でき,このとき回路理論と電磁気学が一致する。

ラジオノイズ対策をするときも,水流モデルが邪魔になる。水流モデルで放射を説明するとき,漏洩結合,つまり水路に漏れがあるというモデルで糊塗するが,放射は TEM モードではない。そもそも回路理論のキルヒホフの法則は,電磁気学のマクスウェルの方程式を満たさないので,放射場を扱うには本質的に無理がある。類推に基づいたモデルは有用だが,限界があることを,常に頭に入れておこう。