私は学会の中心人物ではなく傍観者的な立場(アウトサイダー)にいるので,責任がありません。そこで,勝手なことを書き留めておこうと思います。

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工学系の多くの学会で会員数が減少しているようです。新しい学会が増えていく中で,昔からある老舗学会であっても安泰ではありません。「会員を増やそう!」といった類のキャンペーンが学会でよく行われています。

暇人を意味する schoalr(学者)が集まったところが school(学校)であり, 学者たちが真理を探究する場所が学会だったのでしょう。ちなみに scholar の対になる言葉が,ビジネスマン(busy な人)だそうです。

そもそも学会は自発的に暇人が集まるところであり,強制的に人集めをするところではないと思います。その学会で魅力的なワクワクするような研究について,知的に議論していれば,おのずとその学会には人が集まってくるでしょう。

学会で講演大会を行うときに,OS(オーガナイズドセッション)を組むことがありますが,定常的に OS を組んで,講演大会への参加者(収益)を確保するというのもなんだか変な話です。この考えはビジネスマンの考えであり,スカラーのそれではなさそうです。講演大会というのは,すごい研究をしたから,ほかの研究者にぜひ聞いてほしい,という研究を持ち寄る場であってほしいと思うからです。

学会の存在意義は何かについて,そもそもに戻って考える時期が来ていると思います。

(注1)この雑文は,昨年11月の60th workshop での下館和巳先生(東北学院大学)のご講演と,大須賀公一教授(大阪大学)との議論がもとになっています。

(注2)大須賀さんからつぎのコメントをいただきました。
συμπίνειν sympinein, “to drink together”,すなわち,シンポジウムというのは「お酒を飲み交わす」なので,私たちのやるべきことは「暇人があつまって興味あることをあれこれ語り合って,さらに一緒にお酒を飲んでとことん楽しむこと」,それが学会ですよね.